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日本人は、世界一宗教心の高い民族である(第187号)
PJ記者配信 執筆者 松山徹哉氏
先日、テレビのバラエティ番組で、面白い実験をしていた。世界各国の親切度を試すために、仕掛け人が胸に抱えたミカンをわざと道に落とし、通行人がそれを拾ってくれるか否かというものであった。20人に試し、ミカンを一緒に拾ってくれた人数は、中国が1人、アメリカが12人、イタリアが15人、日本は20人全員であった。しかも、日本人は全員が、手で転がるミカンを受け止めた。他国では足で止める人も多かった。
この結果にあらためて日本人の精神性の高さを実感した。東北大震災での日本人の忍耐強さ、他を思いやる心、規律正しさ、冷静さなどは、世界から絶賛された。日本人の精神性の高さは世界でもダントツであり、郡を抜いている。
精神性とはすなわち、宗教性でもある。宗教性とは、簡単に言うならば、「自分よりも他の人ことを思いやる心」とも言える。その最たるものは自己犠牲の精神である。動物と人間を分ける決定的なものは信仰心であるが、動物には、本能で親が子供を思いやるのは別として、自己犠牲の精神は無い。私たちは、自分の命を犠牲にして他の人を助けた人の話を聞くと感動するが、それは、そうした精神、つまり宗教性がいかに尊いものかを魂が知っているからに他ならない。
中国は唯物論国家であり、宗教を否定し、非常に個人主義が激しい。その結果が、この実験にいみじくも表れたと言える。10月には、中国で交通事故にあって道に倒れている少女を、多くの人が見てみぬふりをした事件が大いに話題となった。日本も戦後に、唯物国家となりさがったと言えるが、少なくとも戦前までは2500年の歴史を誇る宗教大国であった。日本神道と仏教が融合し、素晴らしい精神性、つまり宗教性を身につけてきた。それは、たかだか66年で消滅してしまうようなものではない。日本人の魂の奥底には、脈々と気高い宗教性が流れている。日本人は世界で一番、宗教性の高い民族であることは間違いない。そういう意味では、日本は世界に冠たる宗教国家とも言えなくはない。
戦後のGHQの戦略は、日本を二度と連合国に立ち向かわないようにするには、宗教を骨抜きにすることであった。それが見事に功を奏し、宗教は悪なるもの、政治とは切り離すべきもの、教育からも一切排除すべきものとして、憲法にも明記された。また、マスコミも宗教性悪説の立場で、宗教団体が引き起こした事件や、反社会的な行動だけを大きく取り上げた。その結果、日本人の多くは、宗教とはいかがわしいもの、人の弱みに付け込んで人生を狂わせる悪いものと思うようになってしまった。
宗教にも様々な種類、程度の高さの違いがある。明らかに邪教と言われるものも多い。
しかし、悪い宗教もあれば、正しい、素晴らしい宗教もある。世の中に流通している製品にも良し悪し、値段の違いあるのと同じである。
本来の正しい宗教とは、人間を超えた偉大なる存在(神、仏)を信じ、その教えにしたがって弱き自分を律し、少しでも神仏に近づいていこうと努力することを伴うものである。そこから、謙虚さや他を思いやる愛の心などが育まれるのである。海外では、信仰心のない人間は動物と同じだと見なされ、警戒されるのである。いま日本人に一番求められていることは、宗教心を取り戻し、そして自信を取り戻すことだ。
東南アジアはもとより、イスラム諸国などは、非常に親日的であり、日本を頼りにしている。アメリカやヨーロッパも、日本の底力を知っている。だからこそ円高が止まらない。反日的な中国、韓国も、日本のすごさを知っており、それを恐れているからこそ、日本に敵対心を燃やしているに過ぎない。日本には、混沌とする世界を導くリーダーとしての役割があるのである。【了】